
お花が好きです
香月は自宅にお花を飾っています。
毎週1回お花を買って活けているのですが、これだけは欠かせない事になっています。
活けると言っても、自分の好きなように花瓶に挿して眺めたり、香りを楽しんだり気を貰ったりしているのです。
花の気は透明感が有って気取りがなく浄化の作用があります。
お見舞いにお花を持っていくのはなるほどとうなづけます。
そしてご仏前にお花をお供えするのも浄化作用と、お花の穢れない気をお供えするんだなぁ~と思います。
お花にはそれぞれの気が有って、色んな形や色を視せてくれます。
細かいビーズ状の粒で有ったり、リボン状の物で有ったり、湯気の様に立ち上る物で有ったり、シャボン玉の様な
物で有ったりと様々な形をみせて貰いますが、隠そうとせず自然体で自分自身を表現するようです。
自己主張し過ぎる事もなく自分らしさで存在しているのでどのお花と一緒でも個性を殺し合うという所がないのは
物凄い事なんだなと思ってしまいます。
SMAPの「世界に一つだけの花」を聞いた時は衝撃的でした。槇原敬之さんの作詞ですね。
私と同じものが視えているのでしょうか?
もしそうじゃなければ感性が素晴らしいです!!
私は視えて初めて判る訳ですが、感覚として捉え言葉に置き換える事が出来るという事はさすがプロだと思いますし、そう思える感性を常に磨いている方なのだと思いました。
私達は忙しさであったり、余裕が無ければ何かを見ても「あ~花かぁ」で終わってしまいます。
そこにお花が咲いている事すら気が付かない事さえ有ります。
「生きる」という事に疲れた時、お花達を槇原さんの様な感性で眺めてみたら教えられる事は沢山有ります。
自然の中から色んな「生きる」という意味や癒しを感じます。
その様な意味でも「感性」を大事にしていたいと思うのですが、どうその「感性」を磨いて行くのか?と言う部分で
これです!と言う決まりは無く、自分の好きなお花をを見て「いいなぁ」「可愛いなぁ」「綺麗だなぁ」と素直に感じられるか
どうかを私は基準にしています。
そして、部屋に有るお花の存在をきちんと感じられるか?
喜怒哀楽の喜と楽を除いた感情だけでお花を見ると、
「この子達呑気でいいよね、それに引き換え私はこんなに哀しい」
自分が哀しいのはお花のせいでも何でもないです。
「何の苦労も無いのよね」
自分だけが苦労していると思っている自分中心の考え。
怒りにまかせこれは八つ当たりしているだけ。
喜と楽の感情だと、
数倍増しで綺麗に見えて来ます。
こんなふうに見え方も変わります。
お花を見る時にどの感情も差し挟む事無く有りのままの姿で見られているか?
美しさ、可憐さの前で自分の哀楽の感情が自浄出来ているか?を
考える事を教えて貰っています。
私なりの感性の磨き方だとも言えます。

お花に感謝を!
私の元に来てくれたお花達は根っこが有ったまま咲いていれば蕾のまま枯れる事はなかったでしょう。
お花にとってそれは苦ではなかろうかと思えば、精一杯愛でる事で咲いた事を無意味にせず感謝に替えたいと
思い最後まで出来るだけのお世話をしようと思います。
篠栗八十八ヵ所お遍路の折に、ある札所で、
「お花をお供え下さる方へ。少し枯れて来ているお花も有りますが、
最後まで咲かせてあげたいと思います。新しいお花は別の花瓶にお願いします」
と書いて有り、しぼみかけたユリが活けて有りました。
本当に枯れてしまっている物は無く、そろそろどうだろう?程度のものでお水もきちんと変えられていました。
美観の問題より「生き物」という捉え方は仏様の「自他共に生かす」という思想にふさわしくこの様な考え方
も有るのだと目から鱗でした。
一つの茎に咲くお花達、良く見るとどれも同じ咲き方、形ををしているものは一つとして有りません。
プロフィール

- 代表 / メインスピリチュアルカウンセラー
- 熊本県熊本市の霊能者・香月が霊能力によるスピリチュアルカウンセリングやご相談をお受けしております。占いや心理カウンセリングでは分からない事でも、あなたの悩みを解決に導きます
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