(水子霊ってなんだろう?)
私の所でも一番多いご相談は「水子霊」の問題です。
水子霊とは、母親のおなかに(命を受けた)魂が宿るべき肉体を得たにもかかわらず、この世に
生まれる事無く(流れてしまった)宿るはずの肉体が無くなってしまった霊(魂)の事を言います。
胎教という言葉は一般化していますので、誰でもご存知ですよね!
「体内で教わる」時間の事です。
胎児の場合は、当たり前ですが、肉体は持ちますが、しかし、母親のサポート無しでは存在出来ません。
なので、半分この世で、半分魂として存在しています。
母親のお腹のなかで徐々に成長して魂を肉体に馴らして、この世に出る為の準備期間です。
そして、母親の五感を同時に感じる事でこの世に適応する為の準備をします。
魂はこの世での自分の目標(課題)を持って肉体を得ます。
何を目標とするかは様々ですが自分の魂のレベルアップの為です。
人間界(この世)で色々な苦しみや喜びの中で自分が解消するべきカルマ(宿題)を片付けようとやってきます。
その一環として「人の役にたつ」(別の魂のレベルアップを助ける)という役目でこの世に来る魂も有ります。
お腹に赤ちゃんが宿った時、極端に言うと希望したら嬉しいですし、色んな事情で希望しなかったら困ったと思う場合は有ると思うのですが、
どの母親であったとしても生むという事が本能の中に有ります。
仮に色んな事情で産むことが出来なかった場合その母親は心に傷を負ってしまいます。
私が出会った方達は自分を責めている人達が殆どでした。
前述したように、「人の役にたつ」
というお役目だったなら、心に傷を受けた人から見ると自分は苦しんだのだからこれが人助けなのか?と思われるのが殆どでしょう。
良い行いをしていて優しい気持ちを持っていて、どうしてあんなに良い人が
あんな目に遭わなければならないのか?残酷過ぎる・・・こんな事は良く有ります。
私も個人的にはその意見は否定出来ません。
どうも納得いかない話となります。
では、目標(課題)とは何か?
その人が魂レベルで知らなければいけない哀しみ、苦しみ、後悔、反省だったりまた喜び嬉しさです。
それを知る事で人への優しさ、共感、慈悲、を覚えて行くのです。
この部分を第一段階とした時、
第二段階では、
その哀しみ、苦しみとどう向き合い乗り越え様としたのかその過程を勉強する事も課題として有ります。
その折に、あなたを心から応援してくれたり、優しい言葉をかけてくれたりした人の存在
へ感謝する事や、良い行いの人であればあるだけ沢山の応援や優しさを感じる事が出来るでしょう!
それは哀しみ苦しみの中から生まれる喜びに他なりません。
その人達の気持ちを魂のレベルで感じる事に必要性が有るのです。
理不尽な様ですがそれでも、今世で魂に刻む為に自分が選んで持って来た課題なのです。
だから、レベルアップするお手伝い(別の魂のレベルアップを助ける)お役目の赤ちゃん(魂)がむやみには祟る事は絶対有りません!!
むしろ、自分の罪悪感から怖がることこそ問題です。
殆どの場合はお役目が終わるときちんと元の場所に還る様にプログラムされています。
ですが、たまにその人と魂レベルで繋がりが深かったり、お役目が果たせていないと感じた場合
心配になりそのまま霊体(魂)として居残ってしまう場合が有る様です。
この世に留まってはいけない魂が長くいる事で執着の念を持ってしまう場合が有ります。
そして、稀に、稀に怨霊化してしまうケースも有ります。
そうなった時(害がある)水子霊として霊能者の目に映るのです。
(全ての水子がそうではないとクドイですが言います)
香月はこう考えます・・・
還った水子霊も含めて私は確かにその方に何体の水子霊が「係ったか」を(帰った魂も含めて)視る事が出来ます。
また、残っている水子霊が有ればどうするのか?
全ての水子霊を霊視・除霊する事だけでは片手落ちなのだと思います。
要は、「どう還すのか」が霊能者に問われる部分ではないのでしょうか?
霊が肉体に干渉すれば霊の意思とは別の拒絶反応を起こす事が有ります。
これは霊障という事にはなるのですが、霊障と呼ぶには悲しすぎます!
それを水子の祟りと一般的に言われている様ですが・・・
私は、憎しみの念から始まった訳ではないのに霊障の様になった事を「祟り」と呼ぶことに抵抗、嫌悪感を持ってしまいます。
だから、水子霊だけは除霊ではなく救済と考えています。
問題はお母さんに干渉し過ぎる水子霊をきちんと還して上げる事に意味が有る訳で
それは、その霊が心配しないで済む環境をお母さんに気づいて貰う事に最大のポイントが有ると考えています。
これが本当の意味での「水子供養」だと思うのです。
お母さんが苦しむ事悲しむ事「だけ」では水子霊達は喜びを見出せません。
だって、それが本来のお役目ではないのですから。そこから先の為に来てくれたのです。
お母さんの心に残る哀しみを少しでも癒すのもまた霊能者の勤めです。
残念な事ですが、執着を持った、または、怨霊化した水子霊は賽の河原での修業が待っているのでしょうか・・・
ですが、元は「人の役にたとう」と思った魂ですからお地蔵様がご救済下さいます。
その様な哀しい魂にならない様に早めに気づいてあげる事は重要なのだと思います。
賽の河原の地蔵和讃 (さいのかわらの じぞうわさん)
「これはこの世のことならず 死出のやまじの裾野なる 賽の河原の物語 聞くにつけても哀れなり ふたつやみつやよついつつ とおにもならぬみどりが 賽の河原にあつまりて 父上こいし母こいし 恋し恋しと泣く声は この世の声とは事変わり 哀しさ骨身を通すなり かのみどりごの所作として 河原のいしをとり集め これにて回向の塔を積む 一つ組んでは父の為 二重組んでは母のため 三重組んではふるさとの 兄弟わが身と回向して 昼は独りで遊べども…」
(続きはNO.2でご紹介します)
祖母が子守歌に口ずさんでいました。何度聞いても五七調の哀しい詩とメロディです。
地蔵菩薩 御真言(じぞうぼさつ ごしんごん)
おん かかか びさんまえい そわか
南無大師遍照金剛 合掌
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