人の寿命の不思議

人の寿命の不思議

義理の祖父が老衰で病院に入院していました。
明日をも知れないと言われており何が起こるか判らない状態でしたので、義母が殆ど日中は病院で付き添っていました。
義母はかなり疲れている様子で半日程香月が交代に行っていました。

私も最後になるかもしれないとの気持ちでした。
病室に入ったとたん本当にびっくりしました。
祖父のベッドの周りを数人の霊が囲んでいたのです。

義母はその中で椅子に座り平気なふうでしたが・・・
祖父は眠ったままでした。
全く知らない人達でしたが、私は全然恐ろしさは感じませんでした。
「ああ~お迎えの先祖の方々なんだな」と判ったからです。

その日、半日程付き添う間そのご先祖の霊とご一緒して特にメッセージを受ける事は有りませんでしたが、穏やかな感覚で過ごせました。
祖父が後1週間程だと感じました。
祖父を視ると、まだ幽体が身体に付いていたからです。

数日後にお見舞いに行った折には、お迎えのご先祖の霊はやはりいらっしゃって、
祖父の幽体が身体から30cm程離れているのを視て後1日~2日程かと思いました。

92才の天寿を全うされて仏様の御許へ還られたのは思った様に2日後の事でした。

家族には、お迎えのご先祖の話はしましたが、後残りが何日か・・・その話はしませんでした。

香月は今でも人の寿命については「絶対に言いません!」霊視すれば今は祖父の様に視えてしまいますが、これだけは何回視ても慣れる事は出来ないと思います。
祖父の事は実際私の責任において介護していた訳ではなかったので視れた事だったのだと思います。

「どの様に、どの様なご事情がおありになったとしても人の寿命はお伝え出来ません。」

最後の最後まで信じて上げるべきかと思いますし、自分自身の事であってもです。

私達の思いや願いは何かを変える可能性は絶対信じていたいのです。
変えたいと強く思った事も有りましたが、どんなに霊能者であっても寿命に関わる事はあってはならない事なのです。

暗い自分の感情と戦うということ

暗い自分の感情と戦うということ

実際、自分の極親しい方から自分が介護している方の寿命を「お願い教えて」と頼まれる事は有りました。介護に疲れて「私はいつまでこの暮らしを続ければいいのか?どうにかなりそうなの!!」それは涙ながらの訴えで有りました。

私自身も実父の事で全く同じ様な思いでどうにもならず、夜中お寺の石段に座り込み何時間も泣いたことが有りました。視ようとしても視る事が出来ず。そして「何度お願いしても、最期がいつなのか教えて頂けませんでした」
最終的に出した結論は「自分の現在の苦しさから逃れる為に人の寿命を知ってそれを待つ事」になるのではないか?
その事に対して、今でも本当はどうするべきだったか?という結論は闇の中なのかも知れません。

それでも、私なりにわかった事、考えた事は沢山有ります。時間の経過と共に変わっていった感情も後悔も実体験として持ち合わせています。

ご相談者様のご事情は痛い程お察しします。

私自身も悩んで「知りたい」と思った事も事実です。
私だって当時、他にそれが判る霊能者がいれば聞きたくなる程追い込まれていた事は間違いありません。

ですが、だからこそ、時が経ち今となって思うのは「やはり、あの時人の死を願うに近い思いを言葉にすることが無くて良かった」という気持ちは私の中で大きく育っています。

私の様に介護に疲れ、「いつまで頑張らなければならないのか?」「アノヒトサエイナケレバワタシハジユウニナレル」その思いは介護という日常の中で出てくる感情なのは否定しません。
その感情に対する「私はこんな事思う事はヒトデナシだ!」と自己嫌悪を感じる事も勿論有るはずです。

そこから、摂食障害を引き起こし、迷い、自己嫌悪、介護疲れを経験しました。
そして、壮絶な実父の死という経験をしました。

私自身がその様な感情と戦いそして今の思いを考えを持って居ます。

最近、多くの介護のお悩みをお聞きする中で状況に応じた判断を下さなければいけない場面や自分自身のモチベーションの維持、世間との関わり、病状の進行、他の家族との関係、最期と向合う覚悟等様々な問題が有ります。どう判断して良いか迷う事は有ります。

どうぞ、一人で悩まずご相談下さい。

3人の介護と最期に関わり、一人で考え、不安、苦しみ、悩んだ経験が有るからこそ、そこから抜けた私の現在も含めてお話致しましょう!!

プロフィール

谷川 香月
谷川 香月代表 / メインスピリチュアルカウンセラー
熊本県熊本市の霊能者・香月が霊能力によるスピリチュアルカウンセリングやご相談をお受けしております。占いや心理カウンセリングでは分からない事でも、あなたの悩みを解決に導きます